「佐野洋子」追悼総特集(河出書房新社)
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2011/09/12

「佐野洋子」 写真

この本は出てすぐ本屋で見つけた。見つけたときすごく嬉しかった。
 
ひさしぶりで読み返し、わたしにとっての佐野洋子追悼にしたい。
 
才能も頭もないので当然なのだが、絵本もお話もおもうように書けず、苦し紛れにこの本を読み返している。佐野洋子は死んだのだ。あんなに威勢よくウソもてらいもなく自分の回りを書き綴ったエッセイの数々。どれほどの返り血をあびたのだろうかと想像にかたくないが、そういうたぐいのことを佐野洋子は一切書かない。この人の書いたものにはウソがない。きれいごとがない。ありのままの日常のどろどろを美化もせず濾過もせず、正直に書き綴っている。それは強い人間にしかできない離れ業だ。どんな小さな日常にも、嫌な部分は潜んでいる。友だちとの会話でも、時にどろどろとした嫌な部分も入り込む。そのどろどろを佐野洋子はポン!と差し出し、持って生まれた鋭い批評眼でさらりと料理する。そして平気である。友だちにも肉親にもその他の人々にもけっして媚びたり悪びれたりしない。その強さがすごい。けれども、きっと陰で、ゴーゴーと涙をながしてるんだろうな。泣かないふりして。
 
最後のエッセイ『死ぬ気まんまん』で、「死なない人はいない」と死を目前にして平然という。そういう毅然としたところが好きだった。年をとれば死ぬのは当たり前だけど、死を特別なことのように、声だかに騒ぎ立てる世の風潮には辟易する。佐野洋子は、そういう人たちの対岸にいた。それは、ややもするとへなっといきそうになるわたしに、ささやかな矜持をもたらしてくれる。佐野洋子の人生をぐっと見据えた本も生き方も、わたしにとっては、生きることへの強いメッセージである。
 
何故子どもの絵本を描くのか。の問いに「私は客観的な大人として、子どもを観察し理解し子どもに語りかけているのではない。私はあくことなく、私の中の子ども時代のわたしに向かって語りかけている」という。佐野洋子の絵本をよむと、ぱあーと寂しさがひろがる。けれどもその寂しさは人間を包み込む愛情のこもったさみしさだ。日々の暮らしそのものなのである。いま、そんな絵本を描く人がいるだろうか。そしてそんな本を出す出版社があるのだろうか。そんな御託を並べる前に、はたしてわたしはどんな絵本を創ろうとしているのか。問題はとてもとてもあきらかで、前にある壁はとほうもなく高く厚い。
 
佐野洋子様、母親としてはみっともないと卑下していた貴女は、お裁縫も料理も上手な生活の人でした。ふつうがえらい!といいながら普通でない本をたくさん残してくれて、ありがとう。これからも、死ぬまでファンでいます。もしできたら天国で会いたい。でも、ぼろくそに言われそうで、コワいなあ・・。

むかご 写真

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