内田樹のブログから「若者よマルクスを読もう」
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2011/07/19

(きょうは、用事があって種市に行ってきました。帰り産直でおもしろいお店があったので、それを書くつもり・・・。ところがあに図らず、「内田樹の研究室」をのぞいたら、ついこっちを書きたくなってしまったのです。全文をぜひ、どうぞ!)  
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2011.07.16

若者よマルクスを読もう・韓国語版序文

石川康宏先生との往復書簡『若者よマルクスを読もう』 韓国語版のためのまえがきを書きました。( 韓国語版だけについているものなので、ハングルを読めない日本人読者のためにここで公開することにしました。
 
(省略)
 
逆説的なもの言いになりますが、日本におけるマルクス主義は「マルクス主義者を作り出すため」のものではありませんでした。むしろ「大人」を作り出すための知的なイニシエーションとして活用されたのだと思います。
 
(省略)
 
マルクス主義へ人を向かわせる最大の動機は「貧しい人たち、飢えている人たち、収奪されている人たち、社会的不正に耐えている人たち」に対する私たち自身の「疚しさ」です。苦しんでいる人たちがいるのに、自分はこんなに「楽な思い」をしているという不公平についての罪の意識が「公正な社会が実現されねばならない」というつよい使命感を醸成します。でも、そういう「疚しさ」の対象は、1970年代中頃を最後に、私たちの視野から消えてしまいました。
 
(省略)
 
そうやって日本人はマルクスを読む習慣を失い、それと同時に、成熟のための必須の階梯の一段を失いました。それから30年経ち、人間的成熟の訓練の機会を失った日本人は恥ずかしいほど未熟な国民になりました。( 金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。能力がある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるのは適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々がオピニオン・リーダーになりました。
 
(省略)
 
もっとも弱く、非力なものとともに共同体を作りあげ、運営してゆくためには、どうしてもそれなりの数の「大人」が必要です。十分な能力があり、知恵があり、周囲から十分な敬意や信頼を得ている者は、その持てる資源を自己利益のためではなく、かたわらにいる弱く、苦しむ人たちのために用いなければならないと考える「大人」が必要です。
 
( 社会問題はぎりぎり切り詰めると、実践的には「どうやって大人を育てるか」というところに行きつきます。
 
(省略)
 
世界中のどの国においても、青年たちの成熟のための階梯は「弱く貧しい人々への、共感と憐憫と疚しさ」を経由せざるを得ないということに変わりはないと私は思っています。

(この文を読みながら私は被災地のことを考えていました。東北の片田舎は貧しい。30年前も、30年後の今も。いや、時代を経るに従い都会との格差は広まるばかり。そして震災。ほそぼそと食いつないできた漁業も農業も「もう、やめた」の声を聴く。立ち直る元気もないほど疲弊している。その現実が本当にわかるためには、この土地に一年間住んでみて欲しい。半年でもいい。あるいは、力あるほんとうの大人がこの地の復興を現場で担って欲しい。おざなりはいけない。それこそ弱者を愚弄することなのだから)

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