久慈は春から夏にかけてヤマセ到来で、霧につつまれる日々がつづく
河合隼雄が亡くなって、何年になるのだろう。図書館で川上弘美の「大好きな本」を探していたら、同じ書棚に河合隼雄の「心の扉を開く」という本が目に入った。おっ! これは読んでない、ラッキー!。 ひさしぶりの河合隼雄、丁寧に読む。いとおしんで読む。
家の前の小径。海の方から霧がもくもくと湧いてくる
わたしが今住んでいる家は夫の両親の古い家。ここに住んで3年になるかな。だから庭作りも3年。去年バラを何本か植えた。そして、あと一本欲しいと、植える場所に穴を掘って、準備万端、そのチャンスをねらっていた。
近々盛岡に行き、バラの苗を買い、家人の知らぬ間に植えちゃおうという魂胆だ。
その矢先一通のメールが入った。「母が宇部さんにぴったりなバラの苗を見つけたので、衝動買いしちゃったそうです。こちらに来るときはぜひ寄ってください」なんと、用事があってあした急遽盛岡だ。なんとか時間をつくろって、バラの苗を買ってこようと思っていた矢先のこと・・・。
庭はいま、花しょうぶが花ひらいている
さっそく、友人宅へ。「宇部小町っていうのよ。ピンクの小さな花をいくつもつけるの。花巻温泉でね、これは買わなきゃっておもったの。でも不思議ね?」
ふたりで顔をみあわせて、笑う。こんな不思議があるから人生はとてもステキ、そしてちょっぴり愉快。
これは草、きれいなので抜かないでいたら、義母いわく「チョウゴンボーといい、物のないときには、食べたものだという。
こういう偶然をユングはシンクロニシティとよんだ。河合隼雄ふうには「意味のある偶然の一致」といっている。ひさしぶりの河合隼雄の本を読んで、こんなすてきなことがおきたのも偶然のなせるわざか。
インターネットで調べると、宇部小町は愛らしい花のようだ。仕立てかたによっては、なかなか優美である。一つの花は小粒でまったくさりげないが,全体像はなかなかステキなのである。このイメージ、忘れずにいよう。
そして、友人S嬢のふかい眼差しと、たよやかな微笑みに、万感のおもいをこめて感謝!!
廊下ごしにリクナスの花、フランネル草ともいう。玄関の回りはリクナスがおおい、その向こう側に「宇部小町」が植えられた。