生命とは何か?
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2009/05/19

わん 写真

 ジジの病院通いできのうは盛岡へ、ひとっ飛び。フ〜! やっぱり疲れがたまってるみたい。あぶなく車をぶつけそうになり、どきりとはらりが交互におそう。ほんの一瞬であちらのほうにいきそうなんだもの、あ〜あ。先週は雑用がたくさんあったし・・・。『忙しい』って言葉を、日常のレベルでは軽々しく言わない、と決めてたけど、最近は日常のレベルで「忙しい」を連発するようになった。やばいな〜とおもう。
 村上龍がどっかで言っていた。「自分のために誰かが犠牲になるのも、自分が誰かの犠牲になるのも嫌だ」って。そういうマイナーな関係性を強要されたくないと。私たちの世代は親のようになりたくなくてどっかで自由を求めて、結婚のかたちも従属ではなく、個と個の関係でいきたいと思ったわけだけどさ。
 田舎暮らしの一番暗い部分は、儒教が色濃く残っていること。親のためにとか、家のためにとか、女のくせにとか、そんなことが平然とまかり通っていること。どこかに出口があればいいのだけど、井の中の蛙というか、狭いところにいると突つきあうばかりで、進展がない。もっと自由に、もっと好き勝手に、もっとのびのび生きていいのにね!
 
 「生物と無生物のあいだに」福岡伸一の本をだいぶ前に読んだ。きのうその著者がテレビにでてこんなことを言っていた。食べ物の分子は人の身体の分子になる・・・ちょっとあいまいだけど、そんな感じ。自然の食べ物から自然の身体ができるということ。ワンダーな生命は自然の循環を繰り返し繋がってきたのだということ。
 食べることに人はあまりにも無頓着すぎて、食べたもので自分の身体が構成されるとはあまり気づいていない。感受性も、神経も、考えることも、心の有り様も、分子レベルでなりたっているかもしれず、ただ食えばいいってものではなく、生命はいのちをいただいて生きているのだ。生かされているのだなあ、あああ。その冷厳さと神々しさに、くらくらしたりして。いのちはやわらかい。心はもっともっと・・・・。
 本は最後にこう記す。「結局、私たちが明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである」
 そんなことを想いながら、きょう私は畠に行きました。人工的でないまるごとのいのち満載の畠です。

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