「養老孟司の大言論 希望とは自分が変わること」
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2011/08/19

線香花火 写真

よっ!
 
線香花火。
 
みんな帰って、やれやれ、の 線香花火!
 
新盆で泊まり客8人。四十八のろうそく立ても無事にすみ、
 
ほっと一息。とおもいきや、昨日の午後から雨。
 
洗濯物が山ほどあるのに、これでは後片付けがながびきそう〜。
 
ここ2週間はお盆の準備でふりまわされちゃいました。
 
菓子折り等30箱用意し、四十八の来客用の酒盛りの準備をし、姑宅とこっちの家の片付けと掃除とガラス拭きなどをし、お寺さんのお布施の用意をし、あれやこれやで、フー!!ま、みんな集まって楽しかったけどね!
 
何人かの人から電話で、それやこれやを話したら、「えー、そんなことやってるの。こっちはそういうのないよ。昔風なんだ!」などど、やゆされ、そうかそうか、やっぱり、そうかと思う。
 
変わらないのよね。ここの土地。さらにエスカレートしてるみたい。お返しまでしてると、ほんとエネルギーの損失甚だしく、おばかじゃないのと、思ってしまう。けど、やらないとなんだかんだとうるさく言われるので、めんどうくさいから、やっちゃうということなんです。はい、お疲れ様!!

しそジュース 写真

というところに遠くから友人が訪ねてきました。シソジュースとドクダミの乾燥したものとコリアンダーの種を持ってきてくれました。
 
シソジュースは私も作ったけど、ずっと友人のほうが上手。ドクダミはどうしようかな? いつもドクダミローションを作ってるので、それにしようかなあ。家でコーヒーを一杯のんで、この日は久しぶりで野田村日井の苫屋さんに行きました。
 
苫屋さんには、先客がいて、話に花が咲いてついつい長居になりました。けど、ふだんできないおしゃべりができて、お盆疲れが半減。

ウバユリ 写真

苫屋さんも関西人で友人も関西人で、「来さす」の意味がよくわからずすっとぼけていると、苫屋のご主人が「そちらさん、関西でしょう」という。「あら、どうしてわかったの」というと「来さす」はあっちの言葉だからという。
 
こっちのほうでは「来させる」というもんね。微妙なちがい。けど、ちがう。関西弁と東北弁のちがい。おもろいね。それに気質のちがい、多いに面食らうところらしい。かんたんに言えば、もっとはっきり言ってほしいということ。はい、ごもっともです!

希望とは自分が変わること 写真

さて、養老さんの本です。盆前に積み上げた本をいっき読みました。
 
「養老孟司の大言論 希望とは自分が変わること」新潮社。気にいった文を羅列しますね。以下抜粋。
 
田舎者は自分の土地のことしか語らない。知らないんだから普遍なんか語らない。うっかり語るとバカにされる。
 
田舎者は田舎者でいいので、それは開き直りではない。多様性の一部なのである。私が一神教や儒教を嫌うのは、それが都会的な原理主義だからである。
 
イデオロギーや宗教という、より高級なウソを、偉い知識人たちが暗黙に否定してしまったから、庶民としては、より「低級なウソからでたマコト」に縋るしかないではないか。///人間は要するになにかを信じるしかない動物だということを、高級な人たちが忘れているのである。
 
現代日本の野菜は、味もそっけもない。
 
鶏は機械ではないが、機械と同じ扱いを受けている。生きものをそんなふうに扱って、まともなはずはない。それに気づかないのは消費者が現場を見ないからであろう。(ここを読んだとき、ああ、やっと書いてくれたとすかっとした)
 
自然破壊とは、自然を人が「思うようにしよう」と思った結果に過ぎない。幼児虐待とは、「幼児という自然」を、親が「思うようにしようと思った」結果に、やはり過ぎないのである。(まったく、そのとおり。親は残酷なものです)
 
希望とは、世界が変わるのではない、自分が変わるのである。その希望を押し殺すのが「変わらない私」、個心である。

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