久慈港
またまたブログを書けないでいて、開いてみたら「まあぁぁぁ!! 拍手が5つも。
正直びっくりしました。
わたしの仲良しの友だちはパソコン音痴なのでまず、そんなことするはずないし、ときどき気にかけてくれる人が一人か2人、拍手くれるんだけど・・・・。
なんだかうれしくて、くしゅくしゅっとなっちゃった!
どうも、ありがとうです!! ほんとに、うれしいです。
ぐじゅぐじゅに負けないで、また書こうって、おもいます。
ふ頭(ユーミンのふ頭をわたる風ってあったわね)
前回、森博嗣の「自由をつくる自在に生きる」をちょっと紹介しようかなとおもいつつ、ついつい本音がでちゃって詩書いちゃった。
まあ、そんぐらい今のわたしの日常が自由じゃないということなんだけど、だけどだけど、がまんするだけじゃあね、女がすたるもんね。とまあ、鬼嫁は考えるのです。
実は、ひと月ほど前から鬼嫁を宣言したのですが、腰砕けの鬼嫁なのでいつまでたってもお姑様にはかないません。はい、あっぱれお姑様です。
この日釣り人はひとり
なぜかリス
さて、本題です。
「自由とはなんだろうか。それは、単に義務がない状態のことではない。何でもしてよいと放り出された状況のことでもない。自分の思いどおりになること――これが「自由」なのだ。当たり前に思えるかもしれないが、人生をよりよく生きるポイントなのである。」
赤線いろいろ引いてたけど、ま、簡単に、表紙の裏の文をコピりました。
青い空に裸木その梢のむこうに白い月が